私がプロのヴァイオリニストになろうと決めたのは、17歳、高校2年生でした。
ヴァイオリン指導を専門とする父、その父の元弟子で後にプロのヴァイオリン演奏家となった母、2つ上の姉と私はその両親にヴァイオリンの手ほどきを受け育ち、ある日気づけばヴァイオリンが弾ける状態となっていました。
しかし、私が本当の演奏家になりたいと思うようになったのは、決して小さい時から、ではありません。
ヴァイオリン一家に育ったから、当然ヴァイオリンの道でしょ?
そう思われて当然だと思いますし、話としてはとても美しいのですが、残念ながらそのようにまっすぐではありませんでした。
私が記憶している小学校時代というと、
学校から帰れば父はヴァイオリンの先生として自宅レッスンを、母は練習、リハーサルや演奏をしによく出かけ、姉も学校から帰ってくると真面目に練習。
で、私は、、、
もともとかなりのムラのあるタイプ。笑
練習はするときはずっとするのだけども、やらない時はすぐ飽きちゃう。でもなぜだか本番は強いと、当時から定評があるくらい。
幼い頃は人前で弾くことに対して何の不安もありませんでした。
どのくらい不安がなかったかというと、
弾きながら「お腹減ったなーおにぎり食べたいなー」と考えながら弾いているなんてことがあるくらいだったようです。
しかし、大きくなるにつれ、横山家の家庭環境に対し少しずつプレッシャーを感じるようになりました。
自分はマメな性格ではないから、なかなか集中力が続かない。
つい周りの家族の真面目さと自分とを比較してしまい、「やっぱり自分はダメかもしれない…」そんな不安が生まれてきたのでした。
そしてその不安に目をつむってしまうように、練習をすること自体がだんだんと億劫になっていきました。
その中で決定的なことが起こりました。
忘れもしません、中学生の時の発表会。
両親の知り合いの演奏家がなんの前触れもなく会場に訪れ、そのことを自分が弾く直前に知り、はっきりとした緊張を生まれて初めて感じました。
演奏は、本当にボロボロでした。
あまりの悔しさか、悲しさからなのか、舞台から戻ってきたあとしばらく涙を流したことを今でも覚えています。
それ以後、ソロを人前で演奏する時に必ず
「こんな自分が上手に弾けるわけがない」「きっとみんなに笑われてる」と、聴いている人からどんな風に思われているのか心配でたまらなくなる自分へと変化していってました。
「こんな私がヴァイオリニストになれるわけがない。」
「親の期待にもこたえたい。けれども、、、」
「ヴァイオリンをやめてしまいたい…。」
そんな葛藤が数年続くことになり、中学から高校にかけてしばらく暗黒の時代ともいえるくらいの暗さで悶々と過ごしていました。
たぶん、この当時の私しか知らない人が今の私を見れば驚くことになると思いますが。笑
転機となったのが
高校二年生の時でした。
私の母 清水玲子が当時弦楽三重奏のグループで演奏を始めつつあり、そこに一本ヴァイオリンが増えるとカルテットができるからと私に声をかけてくれたのです。
弦楽四重奏という室内楽をなんとプロと一緒に演奏するきっかけを作ってくれたのです。
とはいってもその頃はろくにヴァイオリンに集中していませんでしたので技術的にかなり不足しているところがありますし、
その上、初めてのカルテットなのに1曲目にドボルザークのアメリカ、2曲目にシューベルトの死と乙女という大曲二つ。
いやいや、ハイドン モーツァルトどこいった、古典は?! という話でして、ギリギリのセカンドヴァイオリンをやった記憶がいまだに残っています。
けれどその時、
まだまだいっぱいテクニックが足りないし、周りの音を聴くのも必死だけど、
だけどなんだろう、
楽しい。
ひたすら楽しい。
クラシックて、音楽って、
なんて素敵だろう。
と、真に、心からそれを感じました。
このカルテットの経験により「音楽が好きだ」ということを再確認することができ、やっぱり私には音楽しかない、と強く思うようになりました。
そして、最も付き合いが長い楽器であり最も自分が表現しやすいと思えるツールがやはりヴァイオリンでした。
そこからようやく、やっと「プロヴァイオリニストになろう」という決意に至ることができました。
まぁ、なろうと思ったところで、もちろんすぐプロになれるわけでもなく、その後イタリアへ渡ってクレモナで出会った師匠には、今の自分を完全否定、コテンパンにされ、またへこんだりまた登ったりの繰り返しをしました。笑
決して順風満帆とはいえない留学時代ではありましたが、良い経験をたくさんさせてもらえたので師匠には大変感謝をしており、そして今では良い思い出となっております。
でもそれはイタリアに行ってからのお話。
渡る前までは、本当に暗い気持ちで、つらかった。
その中で感じたことですが、
1人で楽器を練習を続けるというのは、本当に「孤独」だということ。
部屋にこもって、ひたすら無伴奏の練習やソロの大曲ばかり練習…。それが合う人には合うのだと思います。
だけれども、当時の私にとってそれは苦痛に近いものがあり、1人で続けようにも、下手な自分が浮き彫りになってしまうように思え、それをずっと見据え続けるには相当の勇気が必要に感じます。
初めからずっと好きなままでいればなんともなかったのかもしれません。
けれど、一度楽器をするのがつらい、苦しい、と思ってしまった以上は、よほどの楽しい目標がなければ、ただ辛いだけになってしまう。
私の場合、悩んでいる時にカルテットや他の楽器とのアンサンブルをする機会に恵まれたのが本当に幸いでした。
しかし、他者と合奏(アンサンブル)をするには、その分別の技術がいります。
人と一緒に演奏するにはそれなりに自分の演奏力が求められますが、その上で、自分が弾いている時に、相手がどんな弾き方をしているのか、それにどれだけ気付けるかが、鍵となります。
楽しく楽器を弾き続けるためには、自分を磨くための個人練習、そして他者との合奏。
この二つを上手に組み合わせることにより、楽器を練習することによって得られる喜びをより体感することができると思います。
私自身、それを強く感じました。
自分を高めるための練習はそれなりの忍耐強さがどうしても必要です。
けれど、皆が皆同じような練習で同じように上手くなるわけではない。
コツコツとした練習があう人もいれば、好きな曲の中で練習というのが合う人もいると思います
ようはきっかけではないでしょうか。
その人にとって本当に楽しいと思えることに出会えれば、多少の忍耐強さが伴うことに対しても前向きに考えられるのではないでしょうか?
私は以前、先ほど書いたように練習が億劫になった時がありました。
けれど、本当にヴァイオリンをやろう、と思うようになってから数年した後
イタリアでの学校の卒業試験を受ける前の時点では1日に7〜8時間の練習をしていました。
体力的に疲れはしますが、精神的に参ってしまったりということはもうありませんでした。
それはやはり、
音楽が本当に好きになれたから、
ヴァイオリンを弾く自分がやっと好きになれたから、
だったと思います。
私は子供にも大人にも、
音楽って楽しい。楽器を弾くって楽しい。
真からそう思ってもらえるような楽しい音楽を伝えたいです。
そして楽器を習ってみたいという方へはその人にあった練習法を一緒に考え、
子供には遊びながら覚えてもらうように、
大人には思考で学びながら楽しさを共有できるように、
一生を通して音楽を、楽器をやっていたい。
おじいちゃんおばあちゃんになっても楽器を触っていたい。
友達と合奏して共通の趣味にして輪を広げたい。
そんな希望に満ちた指導を私はしていきたいな、と思っています。